1792年創業。木屋は包丁を中心に様々な生活の道具を提供しています。





「日本橋木屋」は古くから、刃物をはじめとして様々な道具を扱ってきました。それらの道具は様々な名人と言われる職人に支えられてきましたが、今後職人の後継者問題などから、数えきれないほどの技術が消えていく可能性があります。それら日本の伝統伝承技術を発信するために、道具を丁寧に見せる場、道具の歴史・背景を伝えていく場として新たなスペースをつくりました。
職人の手による商品が持っている個性を生かすために、できるだけ棚の存在感を小さくするように設計しています。具体的には商品一つ一つに合わせた形状の小さい棚をつくり、その棚を商品の陳列に合わせて壁に差し換える計画としています。
小さな棚板はステンレス/スチール/FRP/木材のハイブリッド構造でつくり、極限まで薄くすることで、壁には商品と文字だけが浮かび上がるような不思議な空間となります。この一つ一つ形の違う棚板自体もまた職人によって手作りで作られています。
どんなものでも置く事の出来るユニバーサルな棚板ではなく、個性を持った一つ一つの商品に合わせて設計している棚板なので、商品が入れ替わる度に棚板も交換し、商品に合わせた「特注の空間」が出現します。
まるで美術品を観賞するかのように商品を周りからぐるりと眺めることのできる、人と物の新しい向き合い方のデザインです。

萬代基介建築設計事務所
代表 萬代基介


izutukiにてJCDデザインアワード2014金賞受賞
2017年EuroShop//JAPAN SHOP Award
〜第3回ショップデザインアワード〜 優秀賞受賞

花器の世界

弥兆窯 原康広 作品展

2021年1月8日(金)〜 2月3日(水)

『佐賀の広い空のもと 花を引き立て 空間を彩る シンプルだけど存在感のある土の器』

そんな作品を目指して作陶している弥兆窯 原康広氏のizutuki初となる作品展です。
奈良富子氏による彫金の花とともにお楽しみください。

原氏在店日:1月9日(土)予定
ご来店の際は電話にてご確認ください。
日本橋木屋本店TEL. 03−3241−0110































昭和52(1977)年、かねてより飛鳥時代、奈良時代など古代に使われた工具の復元に取り組んでいた鍛冶師・白鷹幸伯のもとに、薬師寺西塔の再建に使う白鳳型和釘の復元とともに約7,000本鍛造の注文が舞い込みました。この和釘を鍛造する鍛冶師として幸伯を推したのが、法隆寺専属の宮大工であった昭和の名棟梁・西岡常一でした。西岡棟梁が示した和釘の鍛造の条件は、薬師寺創建当時の西暦680年頃の鐡に限りなく近い材料を用い、またその時代の製造法に限りなく近い方法で鍛造し、さらに1,000年の耐久性を兼ね備えたものというとても厳しいものでした。西岡棟梁から提供された釘の図面や法隆寺の古釘を基に研究を重ねた幸伯は、鍛造には不純物の限りなく少ない高い純度の鐡と高度な鍛冶の技術が必要であると結論づけ、関係者からの助言を受けながら試行錯誤を繰り返し、見事にその要求に応えた白鳳型和釘の復元に成功しました。

以来、25年以上にわたり幸伯は、薬師寺中門、回廊、大講堂の再建に用いる白鳳型和釘を大小約3万本鍛造するとともに、奈良県にある国宝・室生寺五重塔や、我が県の国重要文化材・松山城本丸一ノ門の修復など、様々な歴史的建造物の修復や再建に使用する、和釘や鎹などを鍛造するという重要な役割を担いました。
本展では、自らを「野鍛冶」と称し、生涯現役を貫いて「鐡」と向き合い、長年にわたり我が国の歴史的建造物や文化財の再生と保全を支え続けた鍛冶師・白鷹幸伯の足跡を、関係資料をとおして紹介するとともに、その人物像に迫ります。

(愛媛人物博物館資料より)


白鷹幸伯は、9歳の頃から父の鍛冶を手伝って建築金具などの製法を覚え、高校卒業後は土佐鍛冶の流れをくむ長兄から、山林用の刃物や包丁の製法を習得します。しかし、戦後の高度成長期を迎えた状況下で鍛冶師としての将来が見出せなかったため、上京して刃物専門店「木屋」に入社しました。


26歳で上京した白鷹幸伯は、刃物専門店「木屋」に入社します。仕入れの担当となった幸伯は、各地の鍛冶場を訪れ、”匠”としての鍛冶師の仕事を再認識しました。そして、昭和46(1971)年、法隆寺専属の宮大工で昭和の名棟梁と言われた西岡常一が木屋に来店、後半生を大きく変える運命的な出会いを果たします。


家業を継いでいた長兄の病死を機に、白鷹幸伯は故郷で鍛冶屋を継ぎました。木屋の社員時代から西岡棟梁の指導の下、古代工具の研究と復元に取り組んでいた幸伯は、今度は鍛冶師としてその復元に打ち込みました。そして、このことが縁となって、薬師寺西塔再建用の白鳳型和釘の復元と約7,000本鍛造の仕事が舞い込みます。


鍛冶師として仕事に打ち込み続けた白鷹幸伯と、苦労しながらも明るくそれを支え続けた璋子夫人との絆と、幸伯の号「興光」を実名として名付けられた令息が受け継いだ『心』と『技』を、写真や協同で鍛造した作品などとともにご紹介。




昭和10年愛媛県松山市に生まれる。幼少より父の向こう槌を打ち、鍛冶の修行をする。
昭和36年日本橋木屋に入社。昭和46年薬師寺金堂などの再建を手掛け「最後の宮大工」と称された西岡常一棟梁と出会う。昭和47年日本橋木屋を退社後、郷里に帰り鍛冶に専念する。西岡棟梁の依頼で、薬師寺再建の為の白鳳型和釘の鍛造を手掛けた。



白鷹氏は耐久性に優れた純度の高い古代釘の入手が不可能な現代、日本鋼管のSLCM材を鍛え、千年の耐久性を持つ白鳳型和釘としてその復元に成功。途中に僅かなくびれや膨らみがあり、時代による建築法の違いを考察し、再現した。薬師寺西塔、中門、回廊、大講堂などの再建に使われ、その他にも寺院や城の修復、復元に膨大な数の和釘を鍛造している。